新人のペーペーから部長職まで経験して強く思うことがあります。タイトルにもある通り「組織とは生き物」である、ということです。
その前に、組織の定義とは何か?
共通の目標を有し、目標達成のために協働を行う、何らかの手段で統制された複数の人々の行為やコミュニケーションによって構成されるシステムのことである。
辞書にはこう記されています。
一人で行う事業以外はすべて「組織」というものにあたるのかもしれませんが、僕の感覚だと、先輩、後輩ではなく、上司と部下という序列が生まれた時点で組織なのかな?と思っています。
まあ、前置きはこの程度にしてなぜ組織は生き物だと思うのか、ということですが、理由は単純明快で、組織が「生きている人間の共同体」であることが理由です。
これを聞いて「なんやねん!それ!」と思った人はもう一度組織を見直した方がよいかもしれません。生きている人間は当たり前ですが感情があり価値観もバラバラ、それを統一することは至難の技です。経営者は理念やビジョンを高らかに宣言し社員に同調を求めますが、しかしどうしても「なんで、これができらんのかな」とか「なんでこういう考えになってしまうんかな」と部下に対する不平や不満が出てくるものです。
それは当たり前なのです。人は生き物、その人の今までの人生や価値観や想いは会社の理念やビジョンよりも強固に作り上げられている場合が多いのです。僕は組織で人と接する時はまずはそっち(個人の価値観や想い)を知り、できるだけ尊重する事を大切にしてきた。自分が上司だから正しいなんて一つも思わないし、自分の意見に従わせたいとも思いません。その人が一番活躍できる業務は何か?今ある戦略で最高のパフォーマンスを得るためにはどういうシステムを構築するべきかを考えてきました。もちろん、会社の理念やビジョンに反する行動などはダメですが。
別にこれは部下に対しての優しさでもなんでもありません。現有戦力で効率的に結果を出すための最適解だと思うから実行するだけです。
そのためには人を理解しなければなりませんし、自分とは全く違う人間を許容しなければなりません。仕事で効率的に結果を出す、という目的と手段だけは共有し、あとはその瞬間の適材適所を考える。
ただ、これってめちゃくちゃしんどいんです。理解できない者を許容すると言うことはなかなかタフな行為なのです。老害と呼ばれる人は若い人の行為や感覚を理解できないがために攻撃しますが、許容よりも攻撃の方が楽だからです。ただ、それは相手と自分を傷つけます。その傷はなかなか癒えることはなく両者の間に深い溝をつくってしまいます。そう考えるとやはり長い目で見ても理解と許容を諦めてはいけない、と思うのです。
よく経営論やリーダー論で「嫌われる覚悟をもて」というニュアンスの言葉がありますが、僕はこの考え方があまり好きではありません。人に嫌われるよりも好かれるほうが良いに決まっている。真剣に経営をすればするほど相容れない相手が現れたり、自分の意見を押し通さなければいけないことがあるのは理解できます。ただ、そういった状況でも相手へのリスペクトと理解する姿勢、許容できる度量を持てるような人間を目指していきたい、今は強く思っています。
では、また。